エネルギーシステムを意識したクライミングトレーニング(全体像)

以前からブログ内で何度か言及しているエネルギーシステムトレーニングについて、数回に分けて紹介したいと思います。

今回は全体像を概観し、次回以降、ATP-CP機構・乳酸性機構・有酸素機構のそれぞれについて、仕組みやトレーニングの方法論、有効なサプリメントなどについて掘り下げるつもりです。

これらの情報はEric HörstのPodcastで詳細に語られており、その内容を咀嚼してまとめます。

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また、日本語の情報としても、過去に故新井裕己氏のロクスノ連載「ハードコア人体実験室」にて概ね網羅して掘り下げられている他、そのエッセンスがクライミングコンディショニングブックにもまとまっています。

エネルギーシステムのおさらい

エネルギーシステムとは、生体内におけるエネルギーであるATPを生成する3種類の代謝経路を指します。クライミングで必要となる前腕の指屈筋をはじめとした様々な筋肉を収縮させるために必要となるエネルギーがATP です。運動に限らず、例えば何もせずに座っている際にも、心臓を動かすなどのために使われる、人間が生きていく上で必須のエネルギーとなります。(余談ですが、いわゆる死後硬直は、ATPが体内で生産されなくなることによって起こります。)

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ATPを体内で生産される機構を大きく表の3つに分類します。ポイントは3種類の代謝経路はATPの生産にかかる時間と、ATPの生産を継続できる時間が異なるということです。例えば、ランジのような爆発的なパワーを必要とするムーブではATP-CP機構を中心にATPが生産されますが、持続時間が短いので、何度も何度も繰り返す事はできず、すこしパワーの落ちる乳酸性機構でのエネルギー生産へとシフトしていくのです。

ATPは、クライミング中に壁から落ちないようにするための貴重なエネルギー源ですので、如何に効率的に生産・消費するか、そのためのトレーニングの方法論がエネルギーシステムトレーニングという考え方です。

エネルギーシステム間の関係性

3種類のエネルギー代謝は生化学的なプロセスで、糖や脂肪などをインプットに化学反応が進み、ATPととそれ以外の物質がアウトプットされます。そのものずばりの名称ではないですが、生物の授業で習った方もいるはずです(例えば有酸素機構ですとTCA回路と電子伝達系など)。

エネルギー以外のアウトプットは、老廃物として体外に排出されるものもありますが、3種類の中の別のエネルギー代謝で再利用されるものもあり、その関係性をまとめたのが表2です。

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有酸素機構でエネルギー生成できる状況になると、ATP-CP機構・乳酸性機構がストップした原因を取り除くことができる、というのがポイントです。具体的には、以下の2点になります。

  1. 有酸素機構が乳酸・水素イオンを消費→乳酸性機構がストップする原因である水素イオンの飽和を解消
  2. 有酸素機構がATPを大量生産して筋肉細胞内のクレアチンクレアチンリン酸化→ATP-CP機構がストップする原因であるクレアチンリン酸の枯渇を解消

別の言い方をすると、ルートクライミングの際中にガバでレストしていたりとか、ボルダリングのトライとトライの間に休んでいるなど、有酸素機構でエネルギー生成できる状況になると、再びATP-CP機構や乳酸性機構を使用したハイパワー出力が可能となるということです。

ボルダリングコンペのベルトコンベア方式に備えてトライ間の回復を早くしたいなんていうときに鍛えるべき機構は、実は有酸素機構だったりするので、ボルダラーも有酸素機構をトレーニングすることによる恩恵を得られるシーンがあることは、覚えておくとよいと思います。

実例(Adam OndraのSilence完登における時間経過)

上記のエネルギーシステム間の関係性がよくわかる考察をEric Hörstが行っているので紹介します。


Silence

2017年にAdam Ondraが世界最難ルート (2020年3月現在)であるSilence 5.15dを初登した際の動画ですが、11:00より、同ルートの核心であるV15パートから終了点にクリップするまでの一連の過程を見ることができます。

ルートクライミングをやる方ならわかると思いますが、登っているときのスピードは驚異的で、かつムーブも極めて正確です。この動画から登っている時間とレストの時間を抽出したものが以下になります。

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改めて各パートで高難度が続くことに驚きますが、実際に登っている時間を見ると、各パート60秒以内に収まっていることがわかります。V10~V15というパートはAdam Ondraと言えどもほぼ無酸素性のエネルギー代謝しか働かない状況と推測され、できる限り正確に素早く動くことで、ATP-CP機構・乳酸制機構がストップしないうちに駆け抜けているということです。

そして、レスト部分で有酸素機構のエネルギー代謝を働かせ、次のボルダーパートに備え、水素イオンの除去、クレアチンリン酸の蓄積に努めます。

成功時のタイムは表の通りですが、レッドポイントまでのワークの過程で各々のムーブやレストを研ぎ澄ました結果の数値であることも注目に値します。例えばV15パート後のニーバーレストは、Adam曰くかなり悪いレストで、初めての際には数秒しか両手を離すことができなかったとのことです。これではその先のボルダーパートをこなすための回復ができないので、より長くレストできるようにするためにトレーニングを行い、最終的には4分もの間レストができるように適応してレッドポイントに成功しています。

また、V15パートを登っている時間自体も、2016年の夏の時点では65秒程度かかっていたところ、レッドポイント時は50秒までスピードアップ・最適化し、エネルギーの節約を実現しています。

なお、この解析は、Eric Hörstが行ったものを抜粋、再構成したものです。リンク先で詳細に考察していますので、興味のある方はご覧ください。

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まとめ

  • ライミングの動きを実現するために筋肉を収縮させるエネルギーはATP。
  •  ATPは3種類の代謝経路(ATP-CP機構、乳酸性機構、有酸素機構)によって生成される。
  • 3種類の代謝経路は、エネルギー生産のスピードと持続時間が異なり。ハイパワーを生み出すためには、ATP-CP機構・乳酸性機構が必要だが、持続時間が短い。
  • 有酸素機構でのエネルギー生成が進むことにより、ATP-CP機構・乳酸性機構がストップしていた要因が取り除かれ、再びハイパワー出力できるようになる。

各エネルギーシステムの関係性を中心とした概観は以上のようになります。次回以降、各システムに着目して掘り下げていきます。

参考文献

エネルギーシステムの概要はDNSのこのページがコンパクトにまとまっていてわかりやすいです。

www.dnszone.jp

 

クライマーズコンディショニングブックは、クライミング観点のエネルギーシステムが日本語でわかりやすく読めます。

 

クライマーズ コンディショニング ブック

クライマーズ コンディショニング ブック

 

 

新井祐己さんのハードコア実験室はロクスノのNo.022〜039で連載されていました。エネルギーシステム絡みはNo.025、No.037あたりで扱ってます。今見ても古くない情報をかなり扱っているので、ぜひバックナンバーを見かけたら読んでみてください。

 

終わりに

ここまで読んでいただきありがとうございました。お断りしておきますが、筆者はクライミング関連業務に従事しているわけではなく、医療関係者でもありませんので、記載内容を実際に適用される際には一次ソースを確認の上、自己責任でお願いします。