エネルギーシステムを意識したクライミングトレーニング(ATP-CP機構 vol.2)

ATP-CP機構のエネルギー代謝を構成する主要物質はATPとクレアチンリン酸(CP)ですが、前回、このATPとCPの蓄積量はトレーニングで向上することはなく一定、という話をしました。CPはサプリメントで蓄積量を増やすことができますが、トレーニングによって体が適応して蓄積量が増えるということはないというわけです。

一方、ATP-CP機構の特徴(代謝の持続時間など)を考慮して、レーニングを最適化することはできます。今回はライミングにおけるハイパワートレーニングの方法論を考察します。

ATP-CP機構の特徴

最も大きな出力パワーが出せるエネルギー代謝

これは感覚的に理解してもらえれば十分だと思いますが、ATP-CP機構は乳酸性機構・有酸素機構に比べて大きな出力パワーを出すことができます(例:100メートル走はATP-CP機構が主体、800メートル走は乳酸性機構が主体)。自身の出せる最大出力に近いパワーを出さないと効果が少ないトレーニングは、ATP-CP機構が主体となっている運動時間(10秒程度)を考慮してトレーニング内容を組み立てるのが効率的です。

回復時間(1分で80%、3分で100%)

ATP-CP機構主体の急激な運動を行った後に、休憩(レスト)を行って有酸素機構で筋細胞内に十分なATPが回復すると、消費したCPが再生産されます。

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レスト時間に伴う回復の割合は、1分で80%、3分で100%程度です。セット間の休憩時間は、この回復時間を考慮することで、やはりトレーニング内容を効率的に組み立てることができます。

ATPとCPの蓄積量は一定

冒頭にも述べましたが、体内のATPとCPの蓄積量は、トレーニングによって増やすことはできません。その限られたエネルギーで筋肉を収縮させることになるので、その収縮の運動エネルギーを出来るだけロスなく効率的に、ホールドを保持している指先まで伝達できることが理想です。

ATP-CP機構の特徴をふまえたトレーニン

レーニング負荷とレスト時間

ATP-CPの蓄積量は一定なので、ATP-CP機構がエネルギー代謝の主役となるような爆発的なパワーを必要とする運動については、一定のエネルギー量を如何に効率的に使えるかがポイントになります。後に記しますが、筋肉に指令を出す神経系や、筋繊維・細胞外基質・腱などの生体組織が適応することで、ATPの生体エネルギーから運動エネルギーへの変換が効率的になっていきます。

このエネルギー変換の効率化を実現するためのトレーニングは、細かくはいろいろな方法があるものの、相対的にはATP-CP機構を最大限動員するようなハイパワーの運動を行うことになります。パワー = カ × 速度なので、力の面で言えばできるだけ重い重量を持ち上げる、速度の面で言えばできるだけ速く動く、などです。その際に、自身の発揮できる最大限に近いパワーでトレーニングをしなければ、最適 な効果は得られないということを意識してトレーニングプランを立てる必要があります。

レーニング負荷

ライミングで重要となる、ホールドを掴む力のトレーニングとして、フィンガーボードを例に考えてみます。有名なフィンガーボード「Beastmaker」は、スマホで使えるトレーニングアプリがありますが、そのアプリで提供されているトレーニングメニューは以下のようなものです。

 

(7秒ぶら下がり→3秒レスト)×7回繰り返しを1セットとして、3分レストを挟んで複数セット実施

 

これは7-3リピーターと呼ばれるプログラムですが、このプログラムで自身の最大限に近いパワーを発揮できているかと言うと、否です。もし7秒ぶら下がりが自身の最大限に近いパワーだと仮定すると、3秒レストではCPは十分に回復せず、次の7秒は最後まで力がもたずに落ちてしまうはずです。7回繰り返しが達成できるのであれば、一回一回のハングに必要ととなるパワーが少なくて済むような大きさのホールドにぶら下がっていることになり、このようなトレーニングはどちらかというと解糖系機構を最適化する持久系トレーニングになります。

実際にぶら下がっている時間をカウントしてみると、7秒×7回=49秒になります。このトータル時間の観点でも、途中途中の3秒レストで少しずつ回復が入るといっても、解糖系がエネルギー代謝の主体となっていると言えます。最大パワーを発揮する目安として、実際にぶら下がっている時間が10秒程度かどうかを意識するとよいです。

この考え方をボルダーでのトレーニングなどにスライドしてみると、10手物くらいの課題は、どんなに早く登っても、ホールドを保持している時間が数十秒程度になりますので、解糖系主体になると想定されます。本当にハイパワーを向上させることを目的とするならば、3~5手程度で限界となるようなボルダー課題でトレーニングすることが必要となります。

レスト時間

レーニング負荷の項でも触れましたが、自身の発揮できる最大限に近いパワーで負荷をかけるようにするために、きちんとレスト時間を設けることが重要です。最低でも1分ですが、理想は3分以上レストして、少なくともエネルギー代謝の機構は100%に近い回復をした上で、次のセットに進むようにしましょう。

レーニングの例

MED Hang (Eva Lópezプロトコル)

12秒程度で限界となるようなサイズのエッジに10秒程度ぶら下がるのを1セットとし、3分程度休んで次のセットに進む方法です。3分程度休むことで、十分にATP、CPの蓄積量を回復させます。また、12秒ぎりぎりまでぶら下がると、フォームの崩れなどを招いて急に指が弾かれるなど、故障につながる可能性があることから、2秒の余裕を持たせています。限界ぎりぎりまでぶら下がらなくても、ちゃんとトレーニング効果はあるとのことです。


Dead Hang Training (5 of 6): The Minimum Edge Size Method (MinEd)

7-53 プロトコル

こちらはEric Hörstが一番気に入っていると公言している方法です。必要となる時間が短く、効率的なトレーニングが可能な点がポイントです。

MED Hangと同様に、10秒で限界となるようなサイズのエッジを選択します。そして、以下のようなメニューでぶら下がります。

 

(7秒ぶら下がり→53秒レスト)×3回繰り返しを1セットとして、3分レストを挟んで複数セット実施

 

CPの蓄積量が1分で80%程度回復することを活かして、ハイパワーに近い刺激を3分の間に3回かけることができます。フィンガーボードトレに熟練してきたら7-53プロトコルを取り入れることを検討するようにEric Horstは薦めています。


Training For Climbing - Finger Strength

4:30あたりが7-53プロトコルです。

ハイパワートレーニングによる適応

全体的なトレーニングの組み立てはここまでに述べてきた通りですが、ハイパワーを効率的に発揮するためのトレーニングを行うと、体は2つの観点で適応します。

1.神経系の適応

2.身体構造の適応

それぞれについて、適応の内容を紹介します。が、これらを知っておかないとトレーニグできないという内容でもなく、なんとなくそんなものがあるんだと眺めておいてもらえば十分だと思います。

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神経系の適応

まず神経系の適応です。筋肉は多くの筋繊維が集まって構成されていますが、運動神経を通してそれらの筋繊維を収縮するような指示が脳から伝達されます。一つの運動神経は複数の筋繊維につながっていて、この筋繊維のまとまりを運動単位と言います。

例えば細かいホールドを全力で握りしめたとしても、指を曲げる筋肉(指屈筋)の全ての運動単位を動員できているわけではなく、遊んでいる運動単位があります。神経系を活発化させるトレーニングにより、できるだけ多くの運動単位を動員できるようにして、筋収縮のパワーを高めるのが神経系の適応です。

運動単位の動員

上にあげた、なるべくたくさんの運動単位を動員するようになる適応です。

発火頻度(レートコーディング)

ある運動単位を動員するために、運動神経は信号を送るのですが、その信号はパルスといって、点滅するライトのように繰り返し送られます。そのライトの点滅の間隔が短いほど、運動単位は繰り返し収縮する事になり、結果として多く収縮することになります。この点滅の間隔を発火頻度(レートコーディング)といい、トレーニングによる適応が可能です。

運動単位の同期

運動単位が複数収縮することで筋肉が全体として収縮しますが、それぞれの運動単位がバラバラのタイミングで収縮するより、同じタイミングで収縮した方が、より強い力を発揮することができます。ボート競技において、 手のオールを漕ぐ動きが同期していた方が、推進力が強いようなものです。トレーニングにより、複数の運動単位が同期して収縮するようになっていきます。

脳のリミッターを外す

これは少し今までのものと毛色が違います。仮に全ての運動単位が動員されて急激な収縮が起きた場合、 この運動に携わる筋肉や腱・靭 などの軟部組織、骨格などに過負荷がかかって怪我をしまう可能性があります。そのようななことを防ぐため、一定の閾値以上の筋収縮とならないように、脳が制御をしています。この閾値は、実際に怪我をするレベルより余裕ある値です。そのため、トレーニングでこの閾値を上昇させることで、より多くのパワーを出力できるようになります。

身体構造の適応

腱が固くなる

筋肉の収縮による運動エネルギーは、腱を経由して骨格に伝わり、作用点に働きます。作用点は、クライミングのホールディングで言えば指先です。感覚として理解しておけば十分ですが、このエネルギーの伝達が速い程、エネルギーロスが少なく効率的です。そして、伝達経路の組織が固い方が、エネルギーは速く伝わります。固いゴムバンドの方が、柔らかいゴムバンドよりも、縮むスピードが速いようなものと理解すればよいです。キャンパシングなど、素早く力を込める必要があるトレーニングを行うことにより、徐々に腱が固くなるように適応していきます。

サルコメア配列の適応

先に、筋肉は筋繊維が集まってできていると言いましたが、更に細かく見ていくと、筋原線維という細胞が寄り集まって筋繊維ができています。更にその筋原線維は、サルコメアという縦長の組織が連なってできています。サルコメア一つ一つの収縮が集まって筋肉全体として収縮するのですが、例えば4つのサルコメアが直列に連なっていた場合と並列に並んでいた場合、4つのサルコメアが同時に収縮すると仮定すると、直列に連なっていた方がより大きく縮みます。結果として、筋肉全体がより早く収縮できることとなり、収縮の運動エネルギーが速く作用点へ伝わることになります。腱の話と同様ですが、速くエネルギーが伝達される方が、エネルギーロスが少なく効率的です。長期的なトレーニングにより、徐々にサルコメアの配列が直列に揃っていく、というこ

うです。

細胞外基質(ECM)の適応

細胞外基質(ECM)という言葉自体は覚える必要はないですが、ここでは複数の筋繊維を束ねる膜のようなものだと理解してもらえばよいと思います。この膜がしっかりしていると、筋繊維の収縮が膜外の方向に逃げず、作用点までロスなく伝わるということのようです。これもサルコメア配列の適応と同じく、長期的なトレーニングに伴って発達するようです。

まとめ

  • ハイパワートレーニングの適応は、神経系の適応と身体構造の適応がある
  • ハイパワートレーニングは、自身の出せる最大出力に近い出力でトレーニングする事で効果を最適化できる
  • 最大出力に近い出力を実現するため、10秒程度の運動時間を意識し、3分以上のレストを設ける

意識してトレーニングしている方には当たり前の内容かもしれません。トレーニング効果を最大化するために、やみくもに量をこなすのではなく、高負荷低回数を意識して質を高めるのがハイパワートレーニングのポイントでした。

終わりに

ここまで読んでいただきありがとうございました。お断りしておきますが、筆者はクライミング関連業務に従事しているわけではなく、医療関係者でもありませんので、記載内容を実際に適用される際には一次ソースを確認の上、自己責任でお願いします。

参考文献

Eric Hörstのpodcast

trainingforclimbing.libsyn.com

 

神経系の適応について

www.rehabilimemo.com

 

7-53プロトコルの紹介

strengthclimbing.com

 

レートコーディングの解説

www.muscle-hypertrophy.com

 

サルコメアの配列の話

www.ncbi.nlm.nih.gov