ストレングスだけではなくパワーも鍛える
クライミングのトレーニングについて書籍やオンライン記事を読んでいてよく出てくるのが「パワー」と「ストレングス」という言葉です。
以前の記事(クライミングの特殊性を考慮した懸垂のバリエーション - May the friction be with you!)でも少し触れたのですが、同じような文脈で使ってしまいがちなこの2つの言葉は、明確に違う意味を持っており、それに伴って「パワー」の鍛え方と「ストレングス」の鍛え方も違います。
ステイホーム期間中に流行ったフィンガーボードや懸垂は「ストレングス 」の強化に偏りがちですが、仕上げに「パワー」も鍛える事でより効果を高める事ができます。
ストレングスとは
ストレングス(Strength)の意味は英和辞典を見ると、「強さ」や「力」といった意味があり、クライミングを含めた運動全般の文脈では後者の「力」の意味で使われます。実際に運動を駆動するのは筋肉なので、「筋力」と言ってもいいでしょう。
筋力=ストレングス を測る単位はkgになります。ストレングスを測る単位はkgになります。筋力トレーニングでは、1回ぎりぎり動かすことができる重量を1RM(1 Repetition Maximum)と言い、最大筋力の指標になります。例えば自分の体重が60㎏として、30kgの重りを加えて懸垂をぎりぎり一回できるのならば、懸垂の1RMは90kgです。
筋力を高めるためには2つのアプローチがあります。中強度中回数の負荷で筋線維の断面積を太くする「筋肥大」と、高強度低回数の負荷で神経系の活動を活発化する「筋動員の向上」です。懸垂を20回×3セット行えば筋肥大に効き、3回程度で限界となるように重りを背負って行えば筋動員向上に効いてきます。
パワーとは
パワーは一般的に、以下のように表現されます。
パワー=ストレングス×スピード
スピードという要素が入ってくるのがポイントです。単位としては、kg・m/sとなります。
ここで、運動とスピードの関係について考えてみます。先ほど挙げた懸垂を1RMの負荷で実施する時を考えてみると、非常にゆっくりな動きになります。
上の図の力ー速度曲線で考えてみると、1RMの懸垂はストレングス がFmaxになり、スピードは殆ど出ていません。しかし実際のクライミング動作を考えてみると1RMの懸垂のようなゆっくりな動きだけではありません。デッドポイントやランジのようなダイナミックムーブは、高スピードで動く勢いによって、低スピードでは届かないホールドをキャッチしますので、スピードが重要になります。このような動作では、図のF1とV1のように、ストレングスは小さくスピードは大きくなります。そしてF1とV1を掛け合わせたものがパワー(P1)となるのです。
パワートレーニング
パワー=ストレングス ×スピードなのであればストレングスを鍛えればパワーも強くなるのではと思います。一面ではその通りなのですが、単純にそれだけでパワーが最適にトレーニングできるとは言えないのです。
再び力ー速度曲線で考えると、ストレングストレーニングによりFmaxが大きくなると、グラフが少し右にシフトします。これを見ると、同じ力F1で実現できるスピードV1'は確かに大きくなっています。しかし、ランジで距離を出すためにもっとスピードを出したいというような時には、できればグラフは以下のようになって欲しいのではないでしょうか。
実は、目的としている運動に沿ったスピードを意識してトレーニングすることで、上のグラフのようにスピードを向上させる事ができます。スピードを意識したトレーニングでは、筋収縮で発生したエネルギーを運動に効率的に変換するために必要となる、腱・靭帯などの軟部組織の適応や体幹の適応が起こります。ストレングストレーニングでFmaxを向上させた後に、スピードを意識したパワートレーニングが必要であるのはこのためです。
スピード・ストレングス
パワーの単位はkg・m/sという話をしましたが、mは運動によって動く距離になります。懸垂では、肩の位置が50センチくらい上がるので、その距離が該当しますが、フィンガーボードではどうでしょうか。ぶら下がっている間、指の形は動いていないので、距離はゼロになり、パワーもゼロになります。フィンガーボードのようなアイソメトリック運動は、パワーではうまく表現できないのです。
しかし、クライミングのデッドポイントでは、ダイナミックに細かいホールドを保持するために、瞬間的(数十〜数百m秒)に力を発揮する必要があり、やはりスピードは重要な要素になります。このような場合、視点を少しミクロに変えて、筋線維の収縮するスピードに着目します。見た目の運動距離はゼロでも、筋線維が爆発的に収縮する事で瞬間的に力が発生します。このような概念をスピード・ストレングス といいます。
クライミングの用語ではコンタクト・ストレングス (接触筋力)がそれにあたります。パワーという言葉はついてませんが、パワートレーニングと同様にスピードを意識したトレーニングで鍛える事ができます。
クライミングにおけるパワートレーニングの例
フィンガーボードで単純にデッドハングを行ったり、スピードを意識しないで高重量の懸垂などを行っていると、ストレングスのみにトレーニング負荷が偏り、実際のクライミングで必要となるパワー要素のトレーニングが不足します。パワー要素のトレーニングに有効なプロトコルの例を紹介します。
リミットボルダリング
1つ目は実際のクライミングです。特にパワー要素に注力した限界レベルのボルダリングを行います。この際に、純粋なパワーを鍛えるため、1,2手の極めて厳しいダイナミックムーブを含む短い課題にトライするようにします。限界のボルダーと言っても、6~7手の少し厳しいムーブが続くことで落とされる課題もありますが、そのようなものは純粋なパワーのトレーニングには適しません。
Speed Pulls
フィンガーボードでコンタクトストレングスを強化するトレーニングです。以下の動画を見るとわかりますが、かなり地味なトレーニングになります。
フィンガーボードにぶら下がる際に、じわっと力を込めるのではなく、瞬間的に力を入れてぶら下がります。ぶら下がる時間は1~3秒と短く、10秒程度のレストを挟んで6~8回程度ぶら下がります。
キャンパシング
パワートレーニングの王道です。キャンパシングは、Speed Pullsのようにコンタクトストレングス を鍛える側面と、懸垂のような引き付け力のパワーを鍛える側面と両方あります。そのため、コンタクトストレングスを主に鍛えたいのか、引き付け力を主に鍛えたいのかにより、ラングサイズも変わってきます。1段上がるのがやっとのラングサイズでキャンパシングすると、コンタクトストレングスの強化にはなっても引き付けパワーの強化にはならないということです。
まとめ
- ストレングストレーニングは筋力を増強するが運動スピード向上の効果は限定的
- クライミングの動作に必要となるスピード要素を含んだパワートレーニングを行うことで運動スピードの向上に寄与する
- 保持力についてもパワートレーニングと同様に筋力発揮スピードを強化するスピード・ストレングストレーニングを行うことが効果的
具体的なトレーニング方法はオーソドックスなものが多いですが、理論の整理としてまとめてみました。ルートクライミングを好む人などは、ステイホーム期間があけたらすぐに持久力トレーニングを行う人なども多いと思いますが、パワーを意識したトレーニング期間を設けることで更なる効果を得らえることもありますので参考にしてください。
参考文献
クライミングにおけるパワートレーニング例の紹介(Andersen Brothersのページ)。
Speed Pullsのプロトコル解説(Tyler Nelsonによる記事)。ビギナーとエキスパートに分けて、セット数、レップ数の推奨値も記載。
スピード・ストレングスについての解説