本ブログで何回か紹介しているTrainingbetaのPodcastで新しいエピソードが公開されていました。今回のテーマはストレッチです。
ストレッチについては、クライミング前後のウォームアップ、クールダウンであったり、クライミングに必要な可動域を向上させるための日常的ストレッチなど、講習や入門書で必ずといっていい程指導される項目です。
一方、「運動前にスタティックストレッチは行わない方がよいのか」など、人や媒体によって意見の一致しないトピックが多く、悩ましい事もあります。
TrainingbetaのPodcastでは、最新の生理学的見解をふまえて、クライマーがストレッチを行うタイミングや種目の考え方を紹介しています。今回はその中から、スタティックストレッチの利点に着目した以下2点を紹介します。
- 運動前のストレッチは、体の部位ごとにスタティックストレッチが望ましい部位とダイナミックストレッチが望ましい部位がある(部位は運動の特性によって異なる)
- 腱組織の柔軟性を保ち怪我を防ぐために、負荷をかけるスタティックストレッチが有効
ストレッチの種類
初めにスタティックストレッチ(静的ストレッチ)とダイナミックストレッチ(動的ストレッチ)の定義を確認しておきます
スタティックストレッチ(静的ストレッチ)
筋肉をゆっくりと伸ばし、やわらかくして可動域(動く範囲)を広げる。
Wikipediaに記載の通り、反動や弾みをつけずにゆっくりと筋肉を伸ばしていき、伸び切ったところで15秒~60秒程度静止するストレッチになります。床に座って足を前に出し上半身を前にゆっくり倒していく、太もも裏のストレッチがイメージしやすいと思います。
ダイナミックストレッチ(動的ストレッチ)
静的ストレッチ(スタティックストレッチ)に対して動的ストレッチ(ダイナミックストレッチ)がある。動的なストレッチの例としては、ゆっくりと制御された脚のスイング、腕のスイング、または胴体のねじれがある[4]。これはやさしく稼働範囲内で行う
少し定義としては曖昧ですが、スタティックストレッチがゆっくりと伸ばすのに対し、ダイナミックストレッチは関節の可動域フルレンジまで動かし、そこで長時間停止せずに動きを繰り返すストレッチです。ラジオ体操もダイナミックストレッチに含まれます。
スタティックストレッチの生理学
運動前にスタティックストレッチを行うと、筋出力が落ちるので行わない方がよいと言われることがあります。これを理解するために、ストレッチを行った際に起きる生理学的な作用について触れておきます。
伸張反射と筋紡錘
「伸張反射」とは、ある筋肉を急激に引き延ばした時に筋肉が損傷するのを防ぐために、その筋を収縮させる(縮める)ように体が指令を出す反応です。筋内に存在している「筋紡錘」という器官が、急激な筋肉の伸張を感知して脊髄へ伝達し、脊髄から筋肉を収縮させるように指示が出ます。
スタティックストレッチを行う際は、反動をつけて筋肉を伸ばさないようにします。反動をつけると、急激に筋肉が伸びたと筋紡錘が感知して伸張反射が起こり、伸ばしたい筋肉が逆に収縮してしまうからです。これは筋肉を緩めることを目的とすると逆効果になりますが、運動前に筋肉の出力を高めることを目的とするならば嬉しい効果です。
収縮の抑制とゴルジ腱器官
スタティックストレッチを行う際には、筋紡錘は活動しませんが、別の器官が活動します。それが「ゴルジ腱器官」と呼ばれるものです。ゴルジ腱器官は、筋肉と腱の間のあたりに存在し、筋紡錘と同じように筋肉が伸びたことを感知しますが、持続的に筋肉が伸びているのを感知します。
伸張を感知した後の作用ですが、ゴルジ腱器官の作用は筋紡錘の作用と逆になります。伸張反射では筋紡錘が筋肉を収縮させるように作用しましたが、ゴルジ腱器官は逆に筋肉の収縮を抑制させるように作用します。これは、筋肉の収縮した状態が続いて筋腱全体が緊張した状態で持続的に伸ばす方向の力がかかると、筋腱組織が損傷する可能性があるからで、伸びる力に逆らわずに筋肉と腱を緩めるように作用します。
運動前のスタティックストレッチで筋出力が落ちる理由
運動前にスタティックストレッチを行うと、以下のような作用が起きます
- 筋肉の収縮が抑制される
- 腱組織が柔軟性を持つ
筋肉の収縮で発生したエネルギーが腱を通じて骨格に伝達し、その結果として骨格が動くというのが運動の原理です。スタティックストレッチを行うと、1により筋肉の収縮で発生するエネルギーが低下するのに加え、2により伝達するエネルギーが柔軟化した腱組織により効率的に伝えられず、総体として筋出力が低下することになります。
余談として、クライミングのトライの合間に、硬くなった前腕をスタティックストレッチすることがよくありますが、指の保持力を発揮する指屈筋の筋出力を低下させることになるので、行わない方がよいでしょう。
運動前のスタティックストレッチ
ここまで述べてきた内容だけだと、「運動前のスタティックストレッチは筋出力を低下させるので行わない方がよい」という結論になりそうですが、そうではありません。行う運動の特性を考慮して、爆発的な筋出力が必要な部位と柔軟性が必要な部位を見極めれば、柔軟性が必要な部位に対してはスタティックストレッチは効果的です。
クライミングにおける下半身の運動を考えてみます。下の写真は左手のデッドポイントでホールドを取っていますが、左足の股関節は大きく曲がった状態からスタートし、ホールドに手を伸ばすと同時に股関節が伸びていくのがわかります。
この際に股関節の周辺で爆発的に収縮しているのは、主に体の後ろ側の筋肉群で、大殿筋や太もも裏のハムストリングスになります。これらの筋肉に対してスタティックストレッチを行うのは、筋出力が落ちるので好ましくありません。
しかし、逆となる体の表側の筋肉群はどうでしょうか。具体的には太ももの表側の大腿四頭筋や腸腰筋です。クライミングの動作において爆発的に股関節を屈曲させる動きは殆どなく、筋出力の低下が運動に与える影響を心配する必要はありません。またこれらの筋肉はデッドポイントで爆発的に収縮する筋肉の反対側の筋肉群になるので、柔軟性が高いほど収縮する側の筋肉が収縮しやすくなります。そのため、クライミングにおいては大腿四頭筋や腸腰筋は運動前にスタティックストレッチを行うのは望ましいと言えるのです。
まとめると、クライミング前のストレッチは、クライミングで爆発的な筋出力が必要な部位はダイナミックストレッチ、爆発的な筋出力が不要で可動域が優先される部位はスタティックストレッチを行うのがよい、ということです。
指屈筋腱のストレッチ(クールダウン)
少し視点を変えて、クールダウンにおけるストレッチについて考えてみます。クールダウンにおいては、その後にスポーツパフォーマンスを行うわけではないので、スタティックストレッチで筋出力が低下しても問題ありません。そして、筋肉だけではなく腱組織についても柔軟性を保つようにすることで、怪我や故障を未然に防ぐことにつながります。
ここで腱組織の柔軟性を向上させるためのポイントが1つあります。単に筋肉を伸ばすのではなく、筋肉を収縮させ(=力を入れ)ながら筋肉を伸ばす方向に加重する事で、より効果的に腱組織がストレッチされます。
これを具体的に端的に言えば、フィンガーボードにぶら下がるという事です。かなり直観に反する事ですが、限界レベルのボルダリングを行って指がギシギシいってきる状態の後には、クールダウンとして数10秒×数セットのフィンガーボードぶら下がりをオープンハンドで行う事で解消できる事になります。
先日、実際に限界までボルダリングを行った後に、上に上げたクールダウンを行ったところ、翌朝に指がギシギシ強張っておらず、快適な状態でしたので、今後も継続してみるつもりです。
まとめ
- クライミングで爆発的な筋出力が求められる部位は、クライミング前のストレッチはダイナミックストレッチが望ましい
- クライミングで爆発的な筋出力が求められず、寧ろ柔軟性が必要な部位は、クライミング前のストレッチはスタティックストレッチが望ましい
- クライミング後のクールダウンにおいて、指屈筋腱のストレッチのため、数十秒×数セットのオープンハンドぶら下がりを行うのが望ましい
専門用語が多く、かみ砕いた説明ができませんでしたが、ストレッチを行う際には以上3点を考慮することで、よりトレーニング効果を高めつつ怪我を防げると思いますので、参考にしてください。
終わりに
ここまで読んでいただきありがとうございました。お断りしておきますが、筆者はクライミング関連業務に従事しているわけではなく、医療関係者でもありませんので、記載内容を実際に適用される際には一次ソースを確認の上、自己責任でお願いします。
参考
その他のPodcast内トピック
本編で取り上げたトピック以外にも、Podcast内では以下のようなコンテンツを扱っています。興味があれば聞いてみてください。
- ストレッチの生理学的理解
- なぜストレッチをするのか
- スタティックストレッチとダイナミックストレッチ
- 各種ストレッチをどんなタイミングで使いわければよいか
- 腱のストレッチと筋肉のストレッチ
- クライミングセッション中にストレッチをしない方がいい理由
- ユースクライマーにおけるストレッチとストレングス トレーニング
英単語
生理学的な英単語が頻出するので、Podcast内で出てくるものを幾つか挙げておきます。
"stretch shortening cycle(SSC)" 「伸張ー短縮サイクル」
"inhibited"「抑制される」Podcast内では収縮を抑制するといった文脈で使用
"golgi tendon organ" 「ゴルジ腱器官」
"muscle spindle"「筋紡錘」
"reflex"「反射」
”hip flexors"「股関節屈筋群」
”hip extensors"「股関節伸筋群」
"hamstrings"「ハムストリングス」太腿後面の筋肉群
"quadriceps"「大腿四頭筋」