エネルギーシステムトレーニング(乳酸性機構vol.1)

だいぶ間が空いてしまいましたが、以前紹介したエネルギーシステムトレーニングの続きです。

今回は乳酸性機構です。瞬発系の運動と持久系の運動の中間にあたるような運動で主役となります。今回は体内での生化学的なメカニズムを確認し、次回はメカニズムをふまえた最適なトレーニングの方法論を紹介予定です。

エネルギーシステムトレーニングの今までの記事は以下を参照ください。

エネルギーシステムを意識したクライミングトレーニング(全体像) - May the friction be with you!

エネルギーシステムを意識したクライミングトレーニング(ATP-CP機構 vol.1) - May the friction be with you!

エネルギーシステムを意識したクライミングトレーニング(ATP-CP機構 vol.2) - May the friction be with you!

今回の記事もEric HörstのPodcastの内容を咀嚼してまとめたものになります。生化学の単語が聞き慣れない事を除けば、発音が明瞭で聞き取りやすい英語なので、興味のある方は聞いてみてください。

trainingforclimbing.libsyn.com

 

エネルギーシステムにおける乳酸性機構の位置づけ(おさらい)

乳酸性機構は、人体のエネルギー源であるATPを生成する生体内のエネルギー生成経路のうち、30秒から1分程度の激しい運動で主役となる機構です。ATP-CP機構には劣るものの、数10秒〜1分程度持続可能、且つピークパワーの70〜90%の出力が可能なため、10手前後のボルダーやルートの核心部において、エネルギー生産の主役となります。

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激しい運動を行うと、開始直後は、最も素早くエネルギー生産が可能なATP-CP機構が主役となってエネルギーを供給します。しかし、ATP-CP機構によるエネルギー生産は10秒未満しか継続できないので、開始5秒くらいすると、乳酸性機構でのエネルギー生産が活性化されて主役の座を交代していきます。1分程度継続すると、水素イオンが蓄積して筋細胞内が酸性に傾き、乳酸性機構が徐々にフェードアウトし、有酸素機構がエネルギー生産の主役に変わります。

ピークパワーの50%を上回る出力を行うと、周囲の血管が閉塞され酸素供給ができなくなるため、必然的にATP-CP機構もしくは乳酸性機構でエネルギー供給されます。逆に、筋細胞内が酸性に傾き乳酸性機構でのATP生産がフェードアウトしていくと、パワーの出力が下がり、血流が戻って有酸素機構が動き始めます。しかしながらパワー出力は落ちているので、ルートの核心でそのような状況になったとしたら、それは指が開いてフォールする時、ということになります。

乳酸性機構の生化学的なメカニズム

乳酸やATPは、炭素や水素などの分子が結合した化合物です。「生化学的な」というのは、生体内でこれらの化合物がどのように反応しているかを見ていくということになります。若干複雑ですが、クライミングレーニングの持続時間や反泊回数を最適化しようとすると、トレーニング中に生体内で起こっている生化学的な反応をある程度理解しておくことは有効ですので、概要を紹介します。若干不正確なところはあると思いますがご容赦ください。

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乳酸性機構の生化学反応全体像

上の図が乳酸性機構の生化学的反応全体像です。ざっくり言うとグルコース(糖分)をインプットにエネルギー(ATP)を生産し、副産物としてピルビン酸、水素イオン、乳酸ができます。乳酸、ピルビン酸は、酸素が供給されると有酸素機構のインプットにもなります。有酸素機構はまた改めて別のブログ記事で紹介しますので、今回は詳細を省きます。

この反応には、いくつかの酵素やトランスポーターが重要な役割を果たしています。酵素は化学反応を促進(触媒)する物質で、トランスポーターは組織間で物質を輸送する物質です。それぞれの働きを最適化することが乳酸性機構のトレーニングのポイントにつながりますので、それぞれを少し詳しく説明します。

PFKによるピルビン酸生成(解糖系)

まず、乳酸性機構をスタートさせるトリガーとなるのが、PFK(ホスホフルクトキナーゼ)という酵素です。ATP-CP機構により筋細胞内に存在していたATPが消費・分解されてADPとリン酸が増加すると、PFKが活性化し、グルコースをピルビン酸に分解してATPを生産する反応が進みます。この反応は糖を分解するので解糖系と呼ばれ、一つのグルコースから2つのATPを取り出す事ができます。

この解糖系は、無尽蔵に反応が進むことはありません。ピルビン酸とともにできる水素イオン(H+)が蓄積して筋細胞内が酸性に傾くと、PFKの働きが非活性化して、反応が進まなくなります。人体の仕組み上、体を一定の状態に保つ傾向(恒常性、ホメオスタシス)があります。筋細胞内も極端に酸性に傾かないようにPFKがフィードバック制御しているのです。

LDHAによる乳酸の生成

水素イオンが蓄積すると解糖系によるエネルギー生産ができなくなるので、できるだけ解糖系を継続するために水素イオンを筋細胞内から除去する必要があります。そのための仕組みとして筋細胞と筋細胞の間に水素イオンを溜めておくことが少しだけできるのですが、大した量では無いので、別の仕組みが重要になります。

激しい運動を行なっていて無酸素の状態では、ピルビン酸と水素イオンから乳酸を生成することで水素イオンを除去する反応が進みます。この反応を促進する酵素LDHA(乳酸デヒドロゲナーゼという酵素です。

LDHAによる反応は可逆です。どういうことかというと、無酸素の状況では乳酸を生成する方向に反応が進みますが、酸素供給されると、溜まった乳酸からピルビン酸と水素イオンを生成する方向に進みます。水素イオンが増えると酸性に傾いてよくないのでは、と感じますが、酸素供給されている状況なので、有酸素機構がピルビン酸と水素イオンを消費できます。余談ですが、クライミングの核心シーケンスで少しでも手をシェイクできると、筋細胞内に酸素が供給されて水素イオンを除去してくれるので、解糖系によるハイパワーのATP生産が長持ちするのです。

MCTによる乳酸の移送と再利用

乳酸はかつては疲労の原因物質と言われたこともありましたが、現在はその考えは否定されています。LDHAにより生成された乳酸は、MCT(乳酸トランスポーター)というタンパク質によって筋細胞外に移送され、乳酸を燃料として活動する遅筋や心臓・腎臓などの臓器で有酸素機構に取り込まれてエネルギー生産に再利用されます。また、肝臓では乳酸がグルコースに再変換されるので、再び解糖系のインプットとして利用することができるようになります。

MCTは乳酸を筋細胞外へ移送する際に、水素イオンも一緒に移送します。そのため、解糖系が動き続けるために、筋細胞が酸性に傾くのを防ぐ効果も有しています。

水素イオンがキーファクター

ここまで乳酸性機構で重要な役割を果たす二つの酵素(PFK、LDHA)と一つのトランスポーター(MCT )の働きを見てきました。これらは全て水素イオンの量に係る反応です。

PFKは、水素イオンの量が増えると解糖系のエネルギー生産を抑制します。LDHAと MCTは筋細胞内の水素イオン量を減らして解糖系のエネルギー生産を長引かせる事ができます。この仕組みを理解して、数十秒程度継続するハイパワークライミングのトレーニングは、これらの酵素の活動を活性化する事を念頭にワークを組み立てることになるのですが、それは次回に紹介します。

まとめ

  • 乳酸性機構は数十秒から1分程度の激しい運動で主役となるエネルギー生成機構
  • 水素イオンが筋細胞内に蓄積すると乳酸性機構を促進しているPFKの働きが弱まり、エネルギー生産が抑制される
  • 無酸素の環境下では、LDHAという酵素MCTというトランスポーターが、水素イオンを除去する反応を促進している

終わりに

ここまで読んでいただきありがとうございました。お断りしておきますが、筆者はクライミング関連業務に従事しているわけではなく、医療関係者でもありませんので、記載内容を実際に適用される際には一次ソースを確認の上、自己責任でお願いします。