エネルギーシステムトレーニング(有酸素機構vol.3)

有酸素機構のエネルギーシステムトレーニングについて、前回はクライミングに即したトレーニング(ローカルエンデュアランス)の方法を紹介しました。今回はランニングやスイミングなど、一般的な全身を使った有酸素運動の効果や必要性について確認します。

 

前回までの記事は以下を参照ください。

エネルギーシステムを意識したクライミングトレーニング(全体像) - May the friction be with you!

エネルギーシステムを意識したクライミングトレーニング(ATP-CP機構 vol.1) - May the friction be with you!

エネルギーシステムを意識したクライミングトレーニング(ATP-CP機構 vol.2) - May the friction be with you!

エネルギーシステムトレーニング(乳酸性機構vol.1) - May the friction be with you!

エネルギーシステムトレーニング(乳酸性機構vol.2) - May the friction be with you!

エネルギーシステムトレーニング(乳酸性機構Vol.3) - May the friction be with you!

エネルギーシステムトレーニング(有酸素機構Vol.1) - May the friction be with you!

エネルギーシステムトレーニング(有酸素機構Vol.2) - May the friction be with you!

 

今回の記事も、前回紹介したように、Eric HörstのPodcastの内容と、アメリカでClimbStrongというクライミングコーチ集団を率いているSteve Bechtelの記事を参考に記載しています。

 

trainingforclimbing.libsyn.com

 

www.climbstrong.com

 

また、最近復刊されたパフォーマンスロッククライミングでも、有酸素性全身持久力トレーニング(GAET=General Aerobic Endurance Training)について丁寧にまとめられており、参考になります。

 

 

一般的な有酸素運動の効果

一般的な有酸素運動は、ここでは全身を使った穏やかな運動として、例えばランニング、水泳、バイクマシンによるエクササイズなどを指します。まず、それらの運動により期待できる効果を確認していきます。

身体的なトレーニング効果

酵素の活性化、ミトコンドリア量の増量と活性化、毛細血管ネットワークの発達

ローカルエンデュアランストレーニングと同様に、一般的な有酸素運動においても、これらの適応は起こります。しかし注意点があります。これらの適応は特異性の原則に従うということです。つまり、運動している筋細胞近辺で起こる適応なので、ランニングやバイクマシンで言えば、主に足の筋肉に発現します。クライミングでは前腕の指屈筋を主として、上半身の限られた筋肉の持久力が最も重要となりますが、ランニングやバイクマシンのエクササイズを行っても、これら上半身の筋肉における適応はあまり期待できないということです。

心拍出量の向上(求心性肥大と遠心性肥大)

ライミングにも関係のある適応としては、心肺系の機能向上が重要です。有酸素機構によるエネルギー代謝においては、運動する筋細胞へは血流を通した酸素の供給や老廃物の除去が行われます。有酸素運動を行うことにより、心拍出量(1分間のうちに心臓から全身に送り出される血液の量)が大きくなります。

心拍出量の向上には2つの種類があります。一つは一回拍出量の向上です。これは、血流を送り出す心臓の心室の容量が大きくなる適応(遠心性肥大)により、心臓の一回の拍動で送り出される血流が大きくなるものです。これにより、運動中も低い心拍数を維持して長時間動き続けることができるようになります。この適応はロングスローディスタンスタイプの有酸素運動によりもたらされます。

もう一つは、一拍ごとの心臓の収縮力が高まる適応です。この適応では左心室の容量は変化しませんが、心室の筋肉の厚みが厚くなり(求心性肥大)、より速く心臓が収縮できるようになります。この適応は、心拍数が高い状態で恩恵があります。左心室に十分に新鮮な血液が満たされていない状態でも、素早く心臓が収縮できることにより、心拍数が高い状態でも多くの血液を全身に送り届けることができるようになります。これにより、心拍数が高い状態で長時間動き続けることができるようになります。この適応は、HIITやTabataトレーニングなど、強度の高い有酸素トレーニングによりもたらされます。

その他の効果

リラックス効果

有酸素運動は日常生活で発生するストレスの軽減に役立ちます。有酸素運動により、神経の興奮を和らげるセロトニンというホルモンが分泌され、ストレスを緩和する効果が 期待できます。

脂肪燃焼効果

有酸素機構による代謝は、糖分だけでなく脂肪もインプットになることから、有酸素運動は脂肪燃焼に直接つながる運動となります。

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有酸素機構の生化学反応全体像

有酸素運動を行うことにより、体のエネルギー不足が発生すると、脂肪が脂肪酸とグリセロールに分解され、運動中の筋細胞のミトコンドリアに運ばれてエネルギー源として使用されます。

リカバリー効果

いわゆるアクティブリカバリーの効果も期待できます。クライミングを行った翌日など、全く運動せずにレストするのではなく、会話が続けられる程度の有酸素運動を行うことで全身の血行を良くして回復を促進させます。

ただし、アクティブリカバリーの効果はそれほど大きくないようです。過去に行われた様々なリカバリー方法の研究文献を調査したメタアナリシスでは、マッサージや温冷浴に比べてアクティブリカバリーの効果は小さかったという結果となっています。

An Evidence-Based Approach for Choosing Post-exercise Recovery Techniques to Reduce Markers of Muscle Damage, Soreness, Fatigue, and Inflammation: A Systematic Review With Meta-Analysis

一般的な有酸素運動はクライミングレーニングに必要か

いろんな意見があり、一定のコンセンサスはない状況です。そのため、結論は取り立てて述べないこととし、推奨・非推奨それぞれの意見を列挙します。

時間があれば、やればいいという意見

www.hoopersbeta.com

カリフォルニアの理学療法士Jason Hooperは、ランニング等の有酸素運動によるメリットを認めつつ、クライミングレーニングという観点では時間効率がよくないことや、メリットを享受する方法が有酸素運動以外にもあることから、時間がある人だけやればいいというスタンスです。

有酸素運動を行う時間を捻出する必要がある

フルタイムクライマーではない、レジャーとしてクライミングを楽しんでいるクライマーであれば、毎日の仕事、通勤、食事、睡眠などに忙殺されながら、なんとか週に数回、ジムや岩場でのクライミングの時間を確保しているのが現実ではないでしょうか。更に週に数回、30分から90分程度の継続した有酸素運動を行う時間を捻出するのは大変です。

リカバリーに必要な時間やリソースを消費する

では、もし時間が十分に確保できるとしたら、一般的な有酸素運動を行う方がよいかと言えば、必ずしもそうとは言えません。クライミングのトレーニングは、その刺激に体が適応して超回復するために、十分な休養と栄養補給を必要とします。一般的な有酸素運動は、それ自身の運動刺激からの回復のために、休養時間と栄養補給を必要とすることから、ライミングレーニングの回復に使いたい有限のリソースが奪われてしまうことを考慮する必要があります。

一般的な有酸素運動はクライミング能力の向上に直接は結びつかない

一般的な有酸素運動レーニングにより、クライミング中のパンプや指の開きを抑制できるなどの効果があるのであれば、他の活動の時間を削って一般的な有酸素運動の時間を捻出する価値はあります。しかし、必ずしもその効果は期待できません。一般的な有酸素運動により期待できる身体的なトレーニング効果は、上に記載したとおり、心拍出量の向上を除いて、ライミングで持久力が必要となる筋肉群に寄与しません

体重減少には有酸素運動以外にもやり方がある

体重減少の効果についてはどうでしょうか。有酸素運動は確かに脂肪燃焼により体重減少につながる効果がありますが、それ以外のやり方でも体重を減らすことは可能です。

ダイエットの基本は「消費カロリー>摂取カロリー」ですので、30分程度のランニングをすることと、おにぎり1個を我慢することは、体重減少に向けた効果という意味では同じです。

また、クライミングのような無酸素的な高強度運動にも、体重減少に対する効果はあります。運動そのものによる脂肪燃焼は有酸素運動にはかないませんが、筋肉量の増加に伴う基礎代謝の向上や、アフターバーン効果と呼ばれる筋トレ後24時間の代謝率向上が期待できます。

適切にトレーニングに取り入れるべきという意見

一方、Eric HörstやSteve Bechtelは、クライミングレーニングの主役ではなくメニューの一部として、一般的な有酸素運動を取り入れることにメリットはあるという考えです。その論拠を確認していきましょう。

効率的な心肺機能向上

上に述べたとおり、一般的な有酸素運動では、ローカルエンデュアランス系のトレーニングのような前腕筋付近の適応は期待できませんが、心肺機能の向上は期待できます。ローカルエンデュアランス系のトレーニングでも心肺機能の向上に効果はありますが、より効率的な方法として、持久系トレーニング期の前半に、一般的な有酸素運動を週に1~3回行うことを、Steve Bechtelは推奨しています。

この際に、遠心性肥大をもたらすようなロングスローディスタンスタイプの運動強度とすることがポイントです。ライミングの特徴は、最大心拍数付近で長時間動き続けるような運動ではないということに注意が必要です。求心性肥大のような、短い間隔で強力に収縮して血流を発生させるような心肺機能はクライミングには不要であり、遠心性肥大により一回拍出量を大きくして、クライミング中にできるだけ低い心拍数で動き続けられるようにすることを目的とします。

回復力の向上

一般的な有酸素運動は、クライミング中の持久力の向上に対する直接的な効果は少ないと上で述べましたが、トライ間のレスト時における回復力の向上は期待できます。ハードなクライミングによって前腕に蓄積された乳酸と水素イオンは、細胞外の毛細血管から血流に入り、他の筋肉で有酸素的に代謝されてエネルギーに変わります

一般的な有酸素運動は、足腰や背中の大きな筋肉の代謝力を向上させることができ、トライ間のレスト時における速やかなエネルギー回復に役立ちます。

一般的な有酸素運動の量的な目安

クライマーが一般的な有酸素運動を行う場合は、Steve Bechtel、Eric Hörstともに、ランニングであれば週に2〜3回、1回あたり数十分を推奨しています。強度は会話ができる程度(心拍数で120〜150/分程度)を維持するようにしましょう。

まとめ

  • クライマーが一般的な有酸素運動を行うならば、クライミングを行う時間を犠牲にしない範囲で行うようにする。
  • 一般的な有酸素運動は、心肺機能の向上によるクライミング中の心拍数低下、全身の代謝機能向上によるトライ間の回復力向上が期待できる。
  • 頻度は週に2〜3回、1回数十分、強度は会話ができる程度(心拍数で120〜150/分程度)を維持するようにする

いろいろ書きましたが、まとめるとこんなところです。一般的な有酸素運動は、クライミングレーニングとしては優先度は低いものの一定の効果は期待できるので、時間を捻出できる方はトレーニングプランに組み込んでもよいのではないでしょうか。

終わりに

ここまで読んでいただきありがとうございました。お断りしておきますが、筆者はクライミング関連業務に従事しているわけではなく、医療関係者でもありませんので、記載内容を実際に適用される際には一次ソースを確認の上、自己責任でお願いします。

参考文献

求心性肥大と遠心性肥大

 有酸素性持久力 – Strong Genius