弱い環になり得る要素(肉体的要因編)

ライミングには様々な能力が求められます。細かいホールドを瞬間的に掴むためのパワー、効率的に動くためのテクニック、落ちたら怪我をするような場面でも冷静に集中して動くためのメンタルなど。

そのどれか一つでも、極端に弱いものがあれば、クライミングの総合的な実力は、その能力に引きづられて低下しまいます。これを弱い環の原則といいます。そのため、効率的にクライミングの実力を向上していくには、その時々の弱い環である能力を引き上げていくトレーニングを行うことが重要になるわけです。

それでは、弱い環になり得る要素、逆に言うとトレーニングにより鍛えるべき要素にはどんなものがあるのでしょうか。

ライミングレーニングの古典的名著「パフォーマンスロッククライミング」では、クライミングのパフォーマンスに影響する要素を6つに分けて、包括的にまとめています。

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引用元

著:ウド・ノイマン、デイル・ゴダード 訳:森尾直康(1999年)パフォーマンスロック・クライミング 山と渓谷社

外的要因や基礎的条件など、トレーニングで鍛えづらい要素も含みますが、「肉体的要因」や「コーディネーションとテクニック」は、ジムでのクライミングやフィジカルトレーニングで効率的に鍛えられそうですし、「心理的側面」についても、思考法や呼吸法などのアプローチによるトレーニングが可能です。

これらのトレーニングによる改善が可能な要素にはどのようなものがあるのか、そして必要となるトレーニングは何なのかを知っておくことは、効率的にクライミングの実力を向上させるトレーニング計画を組み立てるために有効と考えられます。

例えば、先日mickipediaにアップされた下の記事では、「最大筋力を上げるための適切なトレーニング」がテーマですが、弱い環を最大筋力と捉え、そこを集中して鍛えるための方法論・心構えを考えているのです。

micki-pedia.com

本記事では「肉体的要因」を対象に、全体像が見えるように概略をまとめてみます。

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筋力を強くする

最初はやはり筋力です。例えば前腕にある指屈筋という筋肉を鍛えることにより、ホールドを保持する際に、指を曲げた形で保つ力を強くすることができます。トレーニングによって筋力が強くなる過程には以下の二段階があります。

筋肥大する

レーニングによる刺激により、筋肉が大きくなるものです。

筋肉は筋繊維という細い組織がたくさん集まってできています。それらの繊維がトレーニングによって千切れて修復する過程で、より太くなっていきます。できるだけたくさんの筋繊維に負荷をかける為に、筋肥大のための筋トレは「疲労困憊まで追い込む」事が効率的である事が、近年わかってきているようです。これは必ずしも高負荷である必要はなく、低負荷のワークを高回数行うことでも実現できます。

神経出力が適応して筋力が増強する

ライミングにおいては、筋肥大はトレーニングの一過程に過ぎず、目的ではありません。飽くまで目的は、筋肉が発揮できる力=筋力を大きくする事にあります。筋肥大だけでも筋力は増えるのですが、それ以上に重要となるのは、力を出そうとした時に、同時に動員できる筋繊維の数を多くする事です。

ある筋肉を動かそうとしたときに、脳から神経を通して、その筋肉を構成する筋繊維が収縮するように指令が飛びますが、その時に一部の筋繊維は動員されず遊んでます。トレーニングにより、神経出力が向上し、同時によりたくさんの筋繊維を動員できるようになることで、筋力を向上させる事ができるのです。

筋肥大のためのトレーニングと異なり、神経出力の向上のためには、高強度のトレーニングを少ない回数で行うことが必要となります。

筋肥大と筋力の増強については、理学療法士・トレーナーである庵野拓将さんの以下ブログ記事がわかりやすいです。

www.rehabilimemo.com

また、庵野さんが書いた以下書籍も、上記を含む最新の筋トレ理論がまとまっておりお勧めです。

科学的に正しい筋トレ 最強の教科書

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  • 作者:庵野 拓将
  • 発売日: 2019/03/28
  • メディア: 単行本
 

腱・靭帯組織(結合組織)を強くする

ざっくり言うと、腱は筋肉と骨を結合する組織で、靭帯は骨と骨を結合する組織です。よく、アキレス腱が切れると手術するしかないとか聞くと思いますが、そのイメージからか、腱・靭帯のような結合組織は成長も回復もしない静的な組織と思われている方も多いんじゃないでしょうか。

しかし実際には、非常にゆっくりですが、結合組織も成長する事がわかっています。また逆に、完全に断裂していなくても、日々のクライミング負荷により、細かいダメージも負うので、回復の期間も必要です。

運動における結合組織の役割は、筋肉の収縮で発生した動きを骨格の動きへ変換して伝える事です。先に上げたホールドを保持する際の指の動きで言うと、指屈筋が収縮することで発生した力は指屈筋腱などの結合組織を経由して指先の骨を曲げた形で固定することで、指先に力を伝えます。結合組織が細かったり柔らかかったりすると、力のロスが大きくなってしまいます。てこの原理を考えた時に、支柱の棒がぐにゃぐにゃだったら、力が伝えられないと言うことです。そのため、筋力だけではなく、結合組織も鍛える必要があるのです。

結合組織が肥大する

結合組織を太く厚くするには、結合組織を伸び縮みさせる負荷をかける必要があります。数十秒、結合組織にアイソメトリックな負荷をかけ続けると、結合組織が引き延ばされて隙間ができます。しっかり休養して隙間が修復して埋まっていくことで、結合組織は厚くなっていきます。

厚くなることで、筋肉、結合組織、骨が一体となった構造が、全体として強靭になり、より大きな力を生み出す事ができます。また、結合組織が切れにくくなり、ハードなクライミングに対し、より怪我しにくくなります。

注意が必要な点としては、結合組織の成長のスピードは、筋肉と比べてかなり遅いという事です。クライミングのトレーニングを続けていると、筋力は早く増強されても、結合組織の成長が追いつかず、全体としての力の発揮が上げ止まったり、最悪の場合は結合組織が切れてしまうなんて事も起こり得るので注意が必要です。

結合組織が固くなる

結合組織の固さも、トレーニングにより最適化が可能な要素です。運動における結合組織の役割を思い返してみると、より固い方が、筋肉で発生した力を効率的に作用点へ伝達できます。また、力の伝わるスピードも、結合組織が固い方が速いと言われており、デッドポイントやランジでホールドを掴む時のように、瞬間的に力を込めるシーンでは、結合組織が固い方が都合がよいことになります。

結合組織を固くするためのトレーニングは、上記のような、瞬間的に力を込める動きをするとよいようです。最大筋力の40%-80%の力で、瞬間的にホールドにぶら下がることを繰り返すと、徐々に結合組織が固くなっていくと言われています。ボルダー壁でデッドポイントを行ったり、キャンパシングを行なうことが、それに当たるでしょう。

ここまで書いてきた、筋肉と結合組織を計画的に鍛える方法として、アメリカのクライミングレーニング総合サイトtrainingbeta にて、ハングボードを用いたトレーニングスキームが提案されています。

www.trainingbeta.com

ぶら下がりの強度、長さ、反復数を調整し、筋動員の向上→結合組織の肥大→結合組織の固さの順で鍛えていきます。このスキームは興味深いので、機会を改めて紹介したいと思います。

エネルギーシステムを強くする

筋肉・腱・靭帯と、物理的な組織の適応を見てきましたが、視点を変えて、筋肉を収縮させるエネルギーであるATP生産機構(エネルギーシステム)も、トレーニングで向上させる事ができます。

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例えばボルダー課題は、手数にもよりますが、完登まで数十秒程度かかるものが多いと思います。これは乳酸性機構でエネルギー生産が継続できる限界に近いですが、ボルダー課題の最上部で核心の厳しい一手が出てきたりすると、エネルギーが枯渇(電池切れ)して手が出せない、なんて事が起きるわけです。

ここで乳酸性機構がもう数秒働いてくれれば、最後の一手が出せます。例えば、乳酸性機構においては、化学的にグルコースなどの糖類からATPを生み出しますが、適切なトレーニングにより、その過程で働く酵素の働きを活性化させるなど効果を得る事ができ、結果としてより長く無酸素状態でのエネルギー生産を続けられるようになります。

ややこしいのですが、乳酸性機構は持久系トレーニングで効率化されるので、4×4(限界グレードよりちょっと低いグレードの課題を短いレスト時間で4課題×4セット登る)などのトレーニングを行います。ボルダリングで成長の頭打ちを感じていても、自身の最も弱い環が持久力であれば、そのトレーニングをする必要があるわけです。

まとめ

全体像を明らかにしたいと思いましたが、エネルギーシステムのところは歯抜けになってしまいました。他にも漏れてる要素があると思うので、気づいたら是非ご指摘ください。

f:id:takato77:20200204084324j:image(再掲)

肉体的要因には筋肉の他にも腱・靭帯などの結合組織やエネルギーシステムがあり、それぞれの鍛え方も異なります。クライミングを行うことは、全ての要素を鍛えるための刺激になりえますが、どれか一つの要素を鍛えようとした時には、刺激が不十分となる事もあります。弱い環を明確にして、クライミングの他にも弱い環に特化したトレーニングを行うことも考えてみてはいかがでしょうか。

最後に

ここまで読んでいただきありがとうございました。お断りしておきますが、筆者はクライミング関連業務に従事しているわけではなく、医療関係者でもありませんので、記載内容を実際に適用される際には一次ソースを確認の上、自己責任でお願いします。