ジョナサン・シーグリストの肩鎖関節脱臼リハビリ記録

プロクライマーのジョナサン・シーグリストは、7月下旬にマウンテンバイクの事故で左の肩鎖関節を脱臼しました。以下動画のインタビューはARC'TERYXが主催するコミュニティイベントのもので、受傷から5週間のリハビリ内容と回復状況を共有しています。プロクライマーの具体的なリハビリのタイムラインがわかり、参考になります。ポイントを噛み砕いて解説します。


AC Joint Sprain Grade III: Full Interview with Jonathan Siegrist

 

インタビュアーは、以下の記事で紹介した「Climb Injury Free」の著者、Jared Vagyです。

takato77.hatenablog.com

 

はじめに

はじめに、今回のジョナサンの回復までのタイムラインはかなり早い印象で、アグレッシブに負荷をかけているように感じますが、常に整形外科医の診断と理学療法士の指示の元で実行しています。どんな動作でどれくらい負荷をかければよいのかを一人で悩むのは非効率で、短いサイクルでプロの判断と指示を得るのが最も効率的であるということを、インタビュー中でも強調しています。

怪我の内容と契機

受傷契機はマウンテンバイクからの落車です。ハンドルを掴んだまま、左肩から地面に着地するように落車しています。幸運にも病院から5分くらいの場所での事故だったため、迅速な一次措置ができたとのことです。

X線撮影の結果、肩鎖関節の脱臼と診断されました。肩鎖関節は鎖骨と肩甲骨の関節で、それらを繋いでいる靭帯が断裂してしまい、鎖骨が上に跳ね上がってしまっている状態でした。

肩鎖関節は、骨と骨がはまりこんで安定しているような形状ではないので、外から力を加えてはめ込んで(整復)安定するものではなく、腕を下げると連動して鎖骨が跳ね上がってしまいます(リンク先のX線イメージ参照)。そのため、一次措置はは三角巾で吊って、鎮静剤を処方されて終わりとなりました。

一次措置の翌朝に整形外科を受診しています。診断は同じく肩鎖関節の脱臼(グレード3=完全脱臼)で、近傍の肩関節周辺インナーマッスル(ローテーターカフ)は問題ないことを確認しました。ここで、手術は行わずに保存療法で治す方針で進めることを決定しています。

リハビリ状況

1週目:保定して痛みを取る

受傷から約1週間は炎症が治まって痛みが和らぐまで患部に負荷がかからないように保定しています。この際に三角巾で吊るのは数日でやめており、ロイコテープという非伸縮性のテープで保定しています。これにより、夜寝る時にだいぶ快適に過ごせたとのことです。

ロイコテープは一般的なスポーツテーピングと比べて、強固で剛性高いのが特徴です。運動を行なっても70%以上の張力を保つことができます。通気性の悪さ・粘着力の強さから肌を痛める可能性があるので、カバーロールというアンダーテープの上に貼るようにします。

この時期においても全く患部を動かさないでいると却って回復が遅くなるので、日に数回軽く肩周りを動かしていたとのことです。といっても腕を肩から上にあげる動きは痛みがありNGで、腕が肩より下の範囲で、本やマグカップを取るような行動をしていたようです。

2週目:可動域改善、BFRレーニン

2週目に入ると積極的なリハビリメニューを徐々に開始しています。一つは患部の可動域改善、もう一つは患部以外のBFRレーニングです。

可動域の改善

左腕を肩より上に挙げるような、可動域の改善を開始しています。その際には左腕を自力で動かすのではなく、健常な右手で左腕を支えながら、トライ&エラーで痛みが出ない範囲の可動域を徐々に広げるようにしています。

健常な右腕はウェイトトレーニングも再開しましたが、左腕の患部の硬さに影響されて、実施できないメニューもあったようです。例えば右腕での片手ぶら下がりは、左肩が痛くて実施できなかったとのこと。

BFRレーニン

BFRレーニングは、バンドで血流を制限する事で、負荷の軽い運動でも強烈なパンプを発生させて筋細胞にストレスをかけることができるトレーニングです。関節を構成する腱や靭帯などの軟部組織に負担が少ないことから、リハビリに適しているトレーニングです。以下の記事でも詳しく紹介しています。

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ジョナサンの場合、プロクライマーとして指力を維持する事を主な目的にBFRレーニングを採用しています。このフェーズではまだ腕を上げてハングボードにぶら下がることはできませんでしたが、BFRレーニングは肩より腕を上げずに指をトレーニングすることができます。また、ぶら下げる重りは5〜10kg程度でも十分にパンプするので、患部の肩鎖関節にかかる負荷も穏やかです。

また、もう一つ期待した効果として、BFRレーニング後に放出される成長ホルモンによる患部の回復促進もあったとの事。

3週目以降:段階的な筋力強化、動作の改善

ハングボードトレーニン

この週からは通常のハングボードにぶら下がるトレーニングを再開しています。その際に、患部に痛みが出ないように、腕を真上に上げるのではなく肘を90度に曲げた状態でぶら下がっています

当初、ハングボードトレーニングはもう少しリハビリが進まないとできないと考えていたようです。しかし、ソルトレークシティのカイロプラクター、ストレングス&コンディショニングコーチのタイラー・ネルソンに相談したところ、「ぶら下がってみたら?」と提案され、半信半疑でやってみたら痛み無くぶら下がれたとのこと。

これにより、少なくとも指の保持力を鍛えるトレーニングは、ほぼ受傷前の強度のトレーニングを行えるようになり、劇的にモチベーションが上がった出来事だったようです。

ライミングの再開と合わせた段階的な筋力強化

3週目から徐々にクライミングを再開しています。その際に、十分に低いグレードのルートから再開するのはもちろんとして、可動域を広げる動きを少しずつ試して、痛みの出ない動きに限って登るようにしています。例えば、健常な右手は全可動域を使うが、左手は当初、肩より上に挙げないようにして登るようにしていたとのことです。

可動域の拡大に当たっては、ライミングで痛みが出る動作を特定し、理学療法士に相談してトレーニングメニューを提案してもらってウェイトトレーニングを行い、再度クライミングで次のターゲットとなる動作を確認するというスパイラルを回しています。

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ライミングのムーブは多種多様なので、実際に登ってみて初めて痛みが出る動作に気づくことがあります。ジョナサンはガストン、クロスムーブなどを実例として挙げています。また、当然ながら、理学療法士からはこんな動きはまだしてはいけないという指示もあり、クライミングの際にはその指示に従ってムーブを調整していたようです。例えば、足ブラはNG、などです。

以上により5週目には、左腕を真上に上げることも可能な状態まで可動域が改善し、クライミングは5.12台を登るまで回復しています。ジョナサンは5.15クライマーなので、当然全力には遠いですが、この後数か月かけて100%に戻していくつもりという言葉でインタビューは終わっています。

その宣言通り、受傷後3か月半となる11/16に、ニューリバーゴージの「Super Pod」5.14dを登ったことをインスタグラムで報告しています。