「静的ストレッチでパワーが落ちる」をどれくらい気にする必要があるのか

ウォーミングアップ中に静的ストレッチをすると、その後の運動におけるパワー出力が落ちる、という話を聞いたことはありませんか。クライミング関連の書籍や雑誌でも、ウォームアップには静的ストレッチではなく動的ストレッチがよい、と書かれているのを時折見かけます。

一方、短時間の静的ストレッチであれば、それ程影響が無いという意見もあります。実際のところ、どれくらいクライミングのパフォーマンスに影響が出るんでしょうか。登りたい課題に柔軟性を求められる動きが出てくるとしても、絶対に静的ストレッチは行わない方がよいのでしょうか?

個人的にモヤモヤと感じていたこのトピックについて取り上げたポッドキャストがあったので、内容をかいつまんで紹介します。

 

 

文字起こし全文(英語)

 

このポッドキャストでは、クライミングの世界で広まっている拡大解釈や誤解を題材に議論します。毎回一つの科学論文を題材に、論文が言っていることと言っていないことをできるだけ誠実に解説することで、そのような拡大解釈や誤解を解きほぐして訂正することを試みています。

ホストは、ワイオミング州のクライミングコーチであるクリス・ハンプトンと、ストレングス&コンディショニングコーチのポール・コルサロです。

静的ストレッチによる筋力やパワーへの影響に関する理解の移り変わり

静的ストレッチは、筋肉を伸ばした状態で、反動などをつけずに、一定時間保持するストレッチです。静的ストレッチに限らず、ストレッチについては、毎年多くの研究が盛んに行われています。その結果、運動前の静的ストレッチが、その後の運動パフォーマンスにどのような影響があるかという点については、時代によってその評価が変わってきています。

運動前の静的ストレッチに関するこれまでの理解

運動前に静的ストレッチを行うことについては、20世紀初頭の二度の世界大戦の頃から1990年代まで一般的なウォームアップでした。柔軟性が向上して、運動のパフォーマンスも上がると信じられていたのです。

それが、1990年代の後半から2000年代にかけて変わってきます。「運動前に静的ストレッチを行うと、運動時の筋力やパワー出力が落ちる」という実験結果が出てきたためです。

例えば2001年に発表された論文(*1)では、大腿四頭筋の静的ストレッチを、トータル20分弱行った後では、膝を伸ばす運動の筋力が12%低下した、というものがあります。

そのため、強度の高い運動を行う前には、静的ストレッチを行わず、動的ストレッチなどを行うことが推奨されることが多くなってきました。

最近の研究結果

その後、静的ストレッチに関する研究は進み、筋力やパワー出力に影響しやすい静的ストレッチの種類がわかってきています。2019年に発表された論文(*2)では、これまでに発表されてきた静的ストレッチに関する論文をくまなく調査して評価(システマティックレビュー)しています。

静的ストレッチを行う時間による影響

わかってきたことの一つは、静的ストレッチを行う時間の長さによる影響です。ある部位に対して静的ストレッチを行う時間が60秒以下であれば、その後の筋力やパワー出力の低下は1〜2%と、軽微である事が示唆されています。一方、60秒以上の場合は4.0〜7.5%となっており、筋力やパワー出力の低下が大きくなります。

フルウォームアップと合わせて行うことによる影響

もう一つの観点として、静的ストレッチだけをウォームアップで行うのか、その他のウォームアップの一部として行うのかによる違い場合があります。ダイナミックストレッチや有酸素運動と組み合わせて、60秒以下の静的ストレッチを行うのであれば、筋力やパワー出力への影響がない事が示唆されています。

それに加えて、静的ストレッチをウォームアップとして行うことによるメリットも紹介されています。

  • 急性の怪我のリスクを低下させる可能性がある
  • その後の競技で、良い成果が出せそうに感じるといったような、精神的効果

ライミングへの影響

このような研究結果の移り変わりをふまえ、クライミング前のウォームアップとして、どのように静的ストレッチを取り入れた方がよいのでしょうか。ポッドキャスト内では、以下のように提案しています。

  • ウォームアップの一部として60秒以内の静的ストレッチを取り入れるのであれば、パワー出力の低下を過剰に気にする必要はないのではないか
  • 下半身に対してであれば、60秒以内にこだわらず、必要に応じてしっかり静的ストレッチを取り入れてよいのではないか

それぞれ補足していきます。

ウォームアップの一部として60秒以内の静的ストレッチを取り入れるのであれば、パワー出力の低下を過剰に気にする必要はないのではないか

先に挙げたとおり、有酸素運動やダイナミックストレッチのようなウォームアップセッションの一環として60秒以内の静的ストレッチを行うのであれば、筋力やパワー出力には殆ど影響がない事が示唆されています。それであれば、静的ストレッチをする事で得られるメリットに目を向けた方が得策です。

下半身に対してであれば、60秒以内にこだわらず、必要に応じてしっかり静的ストレッチを取り入れてよいのではないか

ライミングは全身を使うスポーツですが、下半身の筋力やパワーを100%発揮する必要があるシーンは殆ど無いでしょう。スラブを全力で駆け上がって速さを競うような事がない限り。

ライミングの場合、下半身については、多少パワー出力が落ちることを気にするよりも、柔軟性が上がった方がメリットがある場合の方が多いです。

例えば、手と同じ高さ、もしくは更に高い位置にヒールフックをかけて、乗り込んでいくような動きが挙げられます。太ももの裏がピキピキ言いそうになりますが、そのような動きが出てくることがわかっていれば、事前に太ももの裏(ハムストリング)を伸ばす静的ストレッチを行っておくことは理にかなっています。

余談

ここまででポッドキャストからの内容の紹介はおしまいです。余談になりますが、この記事を書くにあたって、手持ちの書籍を読み返したら、以下の記述がありました。

ライミング前のストレッチは、部位ごとに特性を考えたい。高い筋出力を必要とする上半身では、過伸展による出力低下を防ぐため、10秒程度の短い静的ストレッチを3セットほど行い、その後、さまざまな方向に回転・ひねりを行なう動的ストレッチを10回程度反復するのがよい。下半身に関しては、クライミングでは筋力発揮よりも、広い可動域のほうが必要になる。アウフバウトレーニングと静的ストレッチを長めに行なおう。

 

北山真・杉野保・新井裕己 著「ヤマケイ・テクニカルブック登山技術全書⑦フリークライミング山と渓谷社

さすが新井裕己さん。2005年の書籍ですが、現在の最新の研究状況と違わない、実用的なストレッチ方法を提案されていたのでした。

おわりに

ここまで読んでいただきありがとうございました。お断りしておきますが、筆者はクライミング関連業務に従事しているわけではなく、医療関係者でもありませんので、記載内容を実際に適用される際には一次ソースを確認の上、自己責任でお願いします。 

参考文献

(*1)"Factors Affecting Force Loss with Prolonged Stretching" authored by David Behm and Duane C Button; published in the Canadian Journal of Applied Physiology, 2001.

(*2)"Acute Effects of Static Stretching on Muscle Strength and Power: An Attempt to Clarify Previous Caveats" authored by Helmi Chaabene, David Behm, Yassine Negra, and Urs Granacher; published in Frontiers in Physiology in 2019.