エネルギーシステムトレーニング(有酸素機構Vol.1)

前回までに、ATP-CP機構、乳酸性機構のエネルギーシステムトレーニングを見てきました。今回は最後の機構として、有酸素機構を紹介します。

運動を有酸素運動無酸素運動に分けると、クライミングは瞬発的な要素も多く、無酸素運動のイメージが強いです。しかし、有酸素機構は瞬発的な運動で消費したエネルギーのレストによる回復に大きく寄与していることから、高い有酸素能力は、ルートクライマーはもちろんボルダラーにも資する能力となります。

今回は体内での生化学的なメカニズムを確認し、次回はメカニズムをふまえた最適なトレーニングの方法論を紹介予定です。

 

前回までの記事は以下を参照ください。

エネルギーシステムを意識したクライミングトレーニング(全体像) - May the friction be with you!

エネルギーシステムを意識したクライミングトレーニング(ATP-CP機構 vol.1) - May the friction be with you!

エネルギーシステムを意識したクライミングトレーニング(ATP-CP機構 vol.2) - May the friction be with you!

エネルギーシステムトレーニング(乳酸性機構vol.1) - May the friction be with you!

エネルギーシステムトレーニング(乳酸性機構vol.2) - May the friction be with you!

エネルギーシステムトレーニング(乳酸性機構Vol.3) - May the friction be with you!

 

今回の記事もEric HörstのPodcastの内容を咀嚼してまとめたものになります。生化学の単語が聞き慣れない事を除けば、発音が明瞭で聞き取りやすい英語なので、興味のある方は聞いてみてください。

trainingforclimbing.libsyn.com

 

エネルギーシステムにおける有酸素機構の位置づけ(おさらい)

エネルギーシステム間の関係性

有酸素機構は、生体内のエネルギー生成経路の中で、有酸素状態で働く機構であり、安静時や穏やかな運動時に主役となって活躍します。

筋肉が行える最大強度の収縮を100%として、50%以上の強度で筋肉が収縮すると、筋細胞の周囲の毛細血管が圧迫され、血流を通じた酸素供給がほぼなくなります。このような無酸素の状態ではATP-CP機構や乳酸性機構でエネルギー生成を行います。逆に、50%以下の強度であれば、多少なりとも有酸素機構がエネルギー生成に寄与しています。

ライミングにおいては、ルートの核心部やボルダーの瞬発的な動きを行う際には50%以上の強度でホールドを保持するため、ATP-CP機構や乳酸性機構により素早くATPを生産します。しかし、ATP‐CP機構は燃料源であるクレアチンリン酸が減少するに伴って、乳酸性機構は老廃物である水素イオンの量が増えるに従って、それぞれの機構でのエネルギー生産ができなくなっていきます。 

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エネルギーシステム間の関係性

 

上の表に記載の通り、有酸素機構はATPを生産すると同時に、ATP-CP機構や乳酸性機構をストップする原因を取り除く役割を有しています。つまり、ライミングにおける有酸素機構の重要な役割は、瞬発的なエネルギー生成機構であるATP-CP機構・乳酸性機構のリカバリーを促進することであるということです。

ライミング はStop&Goアクティビティ

少しクライミングという運動の特性を考えてみます。Eric Hörstは、クライミングの特徴は「Stop&Goアクティビティ」であることと言っています。例えば100メートル競走は、できる限り最大筋力で走り続ける競技です。またマラソンは42.195キロという長い距離を、ばてない範囲でできるだけ早く走り続ける競技です。一方、クライミングは、総体的に見れば登り続けていても、その過程においては、体の各部位は運動とレストを繰り返しています

例えばホールドを保持する手を考えてみると、右手と左手のどちらか一方でホールドを保持して、もう片方の手は次のホールドを目指して動いている時間が多くあります。この間、次のホールドを目指している手は、保持するための力を発揮しておらず、有酸素機構によるエネルギー生産や老廃物の除去ができる状態になっています。

このような運動の特性を考慮すると、以下の2点が、有酸素機構の重要な役割となります。

  1. ライミング中における、保持力の回復
  2. 次のルートをトライするまでの間のエネルギーの回復・老廃物の除去

ライミング中であれば、ルートの核心部などで力を出し切って、そのままだとホールドを保持する力が枯渇して指が開きフォールしてしまうような状況でも、そうならないようにちょっとだけでもシェイクしたりすることで、1手や2手だけでも再び瞬発的な動きができるように保持力を回復させます。

次のルートをトライするまでの間であれば、ルートやボルダーのトライで前腕に老廃物(クレアチンリン酸、水素イオン等)が蓄積したままだと、ATP-CP機構・乳酸性機構が十分に働くことができず、爆発的なパワーを必要とするムーブがこなせないようなことが起こりえます。こちらも、そうならないように、レストしている間に有酸素機構が働いてエネルギー生産と老廃物の除去を行います。例えば、ボルダーコンペなど、5分間の持ち時間以内で複数回トライするような際には、次のトライまでにできる限り爆発的な動きができるように回復する必要があり、トレーニングされた有酸素機構が役に立ちます。

無酸素運動の印象が強いクライミングであっても、有酸素機構は大事な役割を有しています。そのため、有酸素機構を強くするトレーニングはおろそかにできないのです。例えば、ATP-CP機構で消費したATPは、通常は1分程度のレストで2/3程度回復すると言われていますが、トレーニングによって30秒程度のレストで同じレベルまで回復することも可能です。

有酸素機構の生化学的なメカニズム

有酸素機構のトレーニングによって目指す適応のポイント

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有酸素機構の生化学反応全体像


有酸素機構は、生化学的には、TCA回路と電子伝達系という複雑な反応によって成り立っていますが、その内容を知っておく必要はありません。クライミング のトレーニング観点で知っておくべきポイントは、以下5点くらいです。

  • 乳酸性機構で生成されたピルビン酸と水素イオンがインプットになる
  • 体脂肪が分解されてできる脂肪酸もインプットになる
  • 有酸素機構の代謝反応は、多くの酵素が促進している
  • 有酸素機構の代謝反応は、筋細胞内のミトコンドリアで進行する
  • 反応に必要な酸素は血液中から取り込む

特に最後の3つが重要です。有酸素機構のトレーニングは、この3つを考慮して、

  • 有酸素機構の代謝反応に関わる酵素を活性化する
  • 筋細胞内のミトコンドリア数を増やす、活性化する
  • 筋細胞に届く酸素量を増やすため、心肺機能や血管ネットワークの改善

といったことを効率的に実現できるメニューを考えていくことになります。

筋細胞(筋線維)のタイプによる違い

筋細胞(筋線維)のタイプは、持久的運動に適している遅筋(Type1)と、瞬発的な運動に適している速筋(Type2)に分かれます。速筋はさらに、やや持久的運動に適したType2aと、そうではないType2X、Type2bに分かれます。

これら筋持久的運動の適正が異なるのはいくつか理由がありますが、最も重要な点は、各々の筋線維が有するミトコンドリア量が異なることです。遅筋は筋細胞のおよそ20%をミトコンドリアが占めています。一方速筋では、Type2aで4〜5%、Type2bで2%程度となっています。

重要なのは、速筋のType2bは、トレーニングによって10〜12%までミトコンドリア量を増やすことが可能ということです。ミトコンドリア量の観点では速筋Type2aの持久的能力を高めることがターゲットになります。

まとめ

  • 有酸素機構は、瞬発的なエネルギー代謝(ATP-CP機構、乳酸系機構)のリカバリーを促進する
  • ライミング中 においては、ムーブ間のホールドを握っていない時間において、有酸素機構によるエネルギー回復と老廃物除去により、瞬発的な動きを継続する
  • ライミング 間のレストにおいては、有酸素機構によるエネルギー回復と老廃物除去により、次のトライ開始までに瞬発的な動きができるように回復する
  • 有酸素機構のトレーニングは、有酸素機構に関わる酵素ミトコンドリア、酸素を運ぶ血管系のそれぞれをターゲットに行う

次回は、具体的なトレーニングのやり方について書いていきます。

終わりに

ここまで読んでいただきありがとうございました。お断りしておきますが、筆者はクライミング関連業務に従事しているわけではなく、医療関係者でもありませんので、記載内容を実際に適用される際には一次ソースを確認の上、自己責任でお願いします。